2012.09.28
「砂丘についたよ」の声で起きる。いつもいつまでも寝ていたいような僕だったけど、飛び起きた。ギターを持って、衣装も来て、歩いて、走って、くたびれた。みんなで銭湯に行って、ミニ懐石をご馳走になってから食堂カルンへ。
前田さんのガラス展をやっていて、鳥取いくか?と誘ってもらった。珈琲を飲んだりして、カオルさんちの花屋さんで少し休ませてもらう。ボルゾイレコードに寄ると、マークベノの雑魚が、飾ってあったので、ライブのあと自慢した。「みてみて、ギターにほら、これ、マークベノのサイン」のちに、ブログで、「アーシー!スワンプするダニエルジョンストン」みたいに書いてもらっていたことが嬉しかった。めっちゃ褒め言葉だね。ライブ後、前田さんと話しててだったか、次の日だったかわからないけど、無職の話になって、これも嬉しかったこと、前田さんが、「じゅんは職あるでしょ、ずっとアーティストだと思ってるよ」と言ってくれたこと。これはずっと後になってわかればいいと思っていたし、わからなくても別にいいと思ってたから。変な言い方になるかもしれないけれど、ただ会いにいくことだって、電車に乗ってるときだって、いつでも、風景としてでも、芸術はやれるし、表現だと思うし、そしてそれは誰もかも一緒で、お金にはもちろんならないけれど、それが仕事だなんて、ひとりで言ってるだけのつもりもあったから。なんにせよ、お金になることだけが仕事だなんて馬鹿げてるって思うのは、人間以外のみんなはちっともお金を稼いでないのに、すっかり共存しあっていて、僕らだけ偉そうに、本当に偉そうにね、踏ん反り返って歩いて、また、さもそれが悲しいことでもあるかのように、嘆いたりもして、そんな必要はまったくないし、美しいふりしてるみたいで、納得行かなかったりしながら、反発もして。音楽になりたい、音って波でしょ、ゆらゆら揺れて消えていく、その物語で、どんな音楽を鳴らすんだろう、世界も、そんなふうで。まあ、さておき、うれしかったってこと、何より。
普遍的なことのように社会がふるまってるけど、そんなものは崩れちゃうんだなってのがよくわかった、前よりもずっと。それを感じてる子供達は今じゃたくさんいるし、昔の人たちは、頑張っちゃってるけど、僕らは多分、滅んでゆく様を見据える世代になってくる、だから、やっぱり本当に大事なものがなんだったか、敏感に感じようとしてるし、また、新しい小さな子供達にそれを伝えようとしてる、のか、どうだか知らないけれど。
頭の中がスパークしてる。誰かジンで割って飲み干してくれないか。